知覚と存在 覚え書き
人類が絶滅したら、世界はあるのだろうか
なにを言っているのか、と思われるかもしれない
たとえばコウモリは目が見えず、私達多くの動物とは違い超音波で(エコーロケーションを行って位置や距離を測っている)世界を見ていると言われる
実際には彼らは光を使う視覚をしっかり持っているのだが
目が見えない生物、つまり光を感知する器官を持たない生物が存在するというのは十分ありうることである
たとえばモグラのように、地中で生活している生物はほとんど光による情報を必要としないだろう
ではもし、この世に「光を感知できない生物」しかいなければ
その世界に光はないことになるのだろうか
これは少し強引に思える。
存在が認識できないからといって、その存在がないということにはならないだろう
しかし、我々は実際には光を感知できる動物がいることを知っているからそう思うのではないか
この世に「最初から」光を感知できない生物しか居なかったとしたらどうだろうか。
この場合でも、世界に光はあったと言えるのだろうか
光の場合と同じように、音や匂いについても考えたらどうだろう
音の聞こえない生物しか居ない世界には、音がないことにはならないだろうか
なぜかはわからないが、これは光の場合とは別で、明らかに音がないと言えるように思える
音無し世界でも、物や空気の振動はあるだろう。しかし、音はあくまで生物がそれを聴覚で感知したときにそこで発生するものである。といいたくなる。
物理的に考えれば、音の正体は物の振動/空気の振動だが、これらは音そのものではない。と思う。
匂いの場合はどうか。
匂いの感知できない生物しかい居ない世界に、匂いはあるのか
ないと思われる。
匂いの原因は化学物質とかそういうものであるにしても、それらは匂いそのものではない。
上のような話が正しいとすれば、
一体光、音、匂いに対する我々の扱いの違いはなんなのだろうか
(原子や分子という、物質現象を説明するのに使われる概念を「実際に存在する」と思ってしまうことと関連している)
光、音、匂いだけでなく、いま我々が知っている生物の感覚すべてがなかったとしたらどうだろうか
つまり、この世界に生物が存在しなかったとしたらどうだろうか
その世界は存在しているといえるのだろうか